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【第五十五回】

カテゴリ : 
THE 霊学 » 今回のコラム
執筆 : 
BL 2011-6-30 23:50
運命ーThe Destiny 


  
「あなたは運命を信じますか?」
 誰もが一度は耳にした言葉、それが「運命」。
 人はよく自分に言い聞かせるようにつぶやいたりします。
 「これも運命(さだめ)か……」と。
 しかし、その「運命」、誰もその正体を知りません。ですから、そろそろ日の当たる明るみに出す必要がありそうです。なぜなら、霊学の根幹となる「原因と結果の法則」は、運命というあやふやな判断を良しとしないからです。

 一般に「運命」とは、抗いがたい力学的な効果をもたらすモノと信じられていますね。つまり、本人の意志ではどうしようもないモノ、避けようとしても避けられないモノ、あるいは、宗教的に言う「カルマ=業」、因縁とか前世からの決まり事みたいな解釈をされてきました。特に人と人の出逢い、男女間の恋愛には、願望なのか必ずと言って良いほど「運命的」としての表現が顕著になるようです。
 また、「運命とは自分の意志で切り開くもの」と考える人達も大勢います。
 では、その運命のメカニズムを霊学的に考察していきましょう。
 
 占いー見えない世界があるという入口 

 人は占いが大好きですね。
 簡単なトランプ占いや星座占い、血液型占い、手相や人相、本格的な九星気学や四柱推命、タロット、ホロスコープなど占いの世界は奥深いものがあったりします。
 しかし、どれも原理的なものは変わりません。
 人間には誰でも強い磁力があります。運命とは、その磁力に引っ張られて現れるパチンコの玉のようなもの。でも、玉は一つじゃない。
 古来、占い師はFuture Tellar (未来の語り部)ではなく、Fortune Tellar(幸運の語り部)としてその地位を確立してきました。その理由は、幾つもの未来の中から、その人にもっとも良いものを選択して呼び寄せる為の示唆(アドヴァィス)を行ってきたからです。
 人の未来はいつもさまざまに揺れ動いています。家を出る足を右足からにするのか左足からにするのか? それだけでも未来は変化します。いつもの通り道を変えたり、出る足や方角を変える陰陽道の「方違え」などは悪縁を避ける為の技法でした。
 「決まった未来」などありません。しかし、原因をこのまま放っておくと、その結果として予想され得る未来はやって来たりします。
 例えば、暴飲暴食をしたり、不摂生な生活を続けていたら、未来には身体に不健康な状態が現れるのは必然のことです。仕事や家庭、恋愛的なものもその人の日頃の在り方が未来を刻一刻と形作っているのです。また、人には元気な時も病気の時もあるように、精気が弱っていたり、反対にみなぎっている時もあります。その時の人の磁力のようなものが運気(指向性を持つエネルギー)となって見えることもあります。それは、オーラ体で表現するなら、力強い振動であり、強く輝いている状態です。
 占いは、その時のその人の指向(方向性)を読み取り、その指向の先に起こり得る可能性の中からもっとも良いものを選んで教える技術なのです。その本質は、人間に「目に見えるこの世界は、目には見えない世界によって支えられている」事を示す入口(扉)としての役目であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。けれど、多くの人は、占いの次元を行ったり来たりしているだけで、その深奥にある霊学的世界まで手を伸ばそうとしないのは非常に残念なことに思います。 

 周波数と運命

 では、もう少し、霊学的に占いの世界を論理的に解析してみましょう。
 例えば、一人の人間の「運気」を視ます。星占いなら、生まれた時の宇宙の惑星の配置、支配星と呼ばれる星の位置、そして、現在の位置と周囲の星々の影響を観察して、推測していきます。
 時に優秀な占い師は、直感的導きによって、その人の「運勢」みたいなものを出逢った瞬間にキャッチしたりします。しかし、それでは占いにならないので(笑)、統計的なデータで補足するフリをするのです。
 さて、その直感的導きは、何によって得られるのでしょう。霊能力? 宇宙的なインスピレーション? 後ろから囁く背後霊? 
 いいえ、相手から漂ってくる気配によって推測されるのです。正しくは、その人のオーラ体の振動数(周波数、波動)からの情報を占い師の第三の目が感じ取って、「運気」を計るのです。
 余談ですが、すべての人は感覚センサーである第三の目で、最初に外界の情報とコンタクトしています。皆さんは、目で視る、耳で聴く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、皮膚で感じると五感に頼っていると勘違いされているのではないですか? 
 それは、全て翻訳機みたいなものです。例えば、光波も音波も同じ存在。目で視れば光と感じ、耳で聴くと音になるだけです。哲学者のゲーテが「人間の目は光を見るために存在する」と言った意味がわかるでしょう。
 DVDやデジタル放送は、信号(周波数)で記録され、送られたりします。テレビは、それを映像に翻訳(変換)して映し出しています。私達の目も同じ原理で働いています。
 テレビのリモコンの受光部のように、私達はまず第三の目で外界のエネルギー(振動)をキャッチし、繋がっている松果体を通して間脳を振動させ、そこから、周辺の脳に振動を伝達して、目で光を受け取り、網膜で翻訳して視床下部から脳にフィードバックして「認識」させているのです。
 なぜなら、光も音も匂いも、すべては波(振動)だからです。世界という振動の海に私達は存在し、現実の認識の為に各感覚器官で翻訳して、自分の位置を保っているのです。
 ですから当然、人間の存在自体も人は皆、振動で捉えているのです。占い師は、その振動を「占い」というフィルターを通して「定義」付けているのです。職業的訓練の成果みたいなものです。
 人間のオーラ体には、自我(感情)のエネルギーや過去の記憶、魂からの意思などが振動として入り交じっています。相手からの「悩みの相談」という選択・整理された問題点のエネルギー(振動)に触れることで、そのエネルギーの大きさや揺れの幅(変化の可能性)を感じ取り、「結果」である推測される未来予測を読むのです。
 振動数には、自我による物理的な「慣性の法則」があり、「このままだと……」と変化しない予測を読むことができるのです。しかし、それでは、単なるFuture Tellar (未来の語り部)であり、Fortune Tellar(幸運の語り部)とはなりません。
 忠告やアドヴァイスという言葉(言霊)の振動数によって相手の振動数に干渉し、揺らぎを生じさせ、振動数の方向性をずらして他の選択肢の存在を推し量るのです。それによって「より良い未来」を導き出すFuture Tellar (未来の語り部)と成り得るのです。
 占いとは、人に「より良い未来」を選択させるアドヴァイザー的役割を担うことで、他人の隠された振動数に意識的に触れることを許された技術であると言えます。
 予言も同じ役割であり、良くない未来ならば、後世の者達にそれを防ぐことを願って語られたものなのです。人間の意識体(霊体)が宇宙的な物理エネルギーである時空連続体(慣性の法則が働いている方向性を持ったエネルギー)に感応して未来の出来事を見たものを予言、それに夢次元で接したものを予知夢、そして、人間ではない存在(高次元意識体)が人を霊的次元の時空連続体(まだ物質化されていないエネルギー)に感応させて視せたものが預言(預かる言霊)と分類されます。予言と預言は、二つの宇宙的な狭間で揺れるものです。『新約聖書』の黙示録(アポリカリプス)のように、神が語らせた預言であっても、さらに上位の存在が人類の命運を案じて宇宙全体の振動に干渉するなら、その預言も現実にはならなかったりするのです。
 ……つまり、あらかじめ決定されている未来などは、人にも、地球にも、宇宙にも無いということなのです。

 運命を切り開く、ということ 

 テレビに多くのチャンネルがあり、自分が何を観たいかでその選択が決まるように、「運命」と呼ばれる(感じられる)エネルギーも、自分の意思や感情の選択肢によって変化します。8チャンネルを選べば、8チャンネルの番組が現れるけれど、チャンネル(選択)を4や6に変えれば、8チャンネルの番組自体は存在しても観ることが出来ない(現れない)のと同じです。運命も霊学で言う「原因と結果の法則」に則るのです。
 現在の自分を取り巻いているエネルギー(振動数、気配)は一つのチャンネルであり、それに応じた環境や世界、未来が現れているのです。それを変えたい、未来を変化させたいと願うなら、チャンネル(現在の振動数と自我による方向性)を変えれば良いのです。
 HOW TO ?どうやって?
 人は、カメレオンのように相対する人に合わせて自分の見せるフェイズ(顔)を無意識に変えて生きています。Aさんに見せている顔(接している態度)、Bさんに見せている顔もCさんに見せている顔も微妙に違うはず。それは、ごく普通の事なのです。誰もが親に見せている顔と友人に見せている顔が違うように。
 言い換えれば、人に合わせて振動数を変えているようなものです。それだけ、人には幾つもの「顔」があるのです。多くの転生によるモノか、自我によるものなのか……。
 そして、その顔は自分の未来に対しても向けています。
 何度もお話してきた事ですが、“今日”は“昨日”の結果であり、“昨日”は“今日”の原因です。同時に“今日”は“明日”の原因であり、“明日”は“今日”の結果です。
占いで現れる未来は、今日の延長である“明日”。もし、“明日”を変えたければ、明日の原因である“今日”を変えるしかありません。
 それには、今の自分(向けている顔)を変えるしかないのです。その為に必要なのは、まず今の自分を受け入れること。ただし、いつものように“過小評価しがちな自分”を受け入れるのではなく、良いところ(長所)も嫌いなところ(短所)も併せて、「それ以上でもそれ以下でもない自分」を座標軸として受け入れるのです。
 なぜなら、変わる(変える)ということは、船の進路を変更するようなものですから。その為には、「自分は今いったいどこにいるのか?」という位置関係を把握しておく必要があるのです。
 簡単なのは、物事に対して今までの考え方を変えてみることです。いつもだとこう考える。けれども、今日からはこう考えてみよう、と。
 ほんのちょっとした変更。けれども、人生はたったそれだけで大きく変化するのです。ラジオの周波数をほんの少しだけいじっても電波を拾えなかったりするでしょ。最初の一歩を変えれば、のちのち大きく変化していく。陰陽道の“方違え”みたいなものです。
 けれど、人間の運命は、テレビのチャンネルほど単純な選択肢ではありません。さまざまな思惑(迷い、恐れ、反発)が絡み、意思を常態にしておくことが困難な為、すぐに揺らいでしまうからです。結局、感情でまた今までと同じ考え方(捉え方)のパターンにはまってしまう。
 だからこそ、強い意志が必要と言われるのですが、それが保持出来るなら、人は運命に翻弄されたりはしません。
 そして、独り暮らしならテレビのチャンネル選択肢は自分一人で決定できますが、家族が多いとチャンネル争いが起きるように、他の人間が自分の振動数に干渉してくることは多々あります。時には、人が自分を助けてくれたり、人が自分を不幸にする(ように見えるだけなのですが……)のは、その為です。
 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の悲劇も、その時代の価値観や人間の感性、思考、感情、恐れなどの様々な要素のチャンネル争いが導き出した“ままならぬ運命”を男女の恋愛になぞらえたものなのです。
 では、さまざまな人の干渉を受けても微動だにしない強い意志を持つことは不可能なのか? と聞かれたら、NOと答えられます。
 人の自我からのではなく、魂からの願い(意思)の力は、運命を逆転させるほどに強いのです。

 さて、人生には幾つものイベント(出逢い)がありますね。
 しかし、人間はその疑り深さ(恐れ)から、自分の運命に“良いこと”が起きても、素直にそれを受け入れたりもしません。魂が望んでいる出逢い(人や出来事)であっても、自我が「変わることへの恐れ」から拒否してしまうこともあるからです。
 反対に、自我によって良いこと、楽しいこと(麻薬、賭け事)が、魂にとって望まないこともあるのです。
 難しいのは、麻薬のように心と身体を蝕むものは誰にも解り易いのですが、「自我が安心する(喜んでいる)状態」と「魂が安心できる(喜んでいる)状態」の違いは、認識できない方が多いのです。理由は、今の人間の脳の進化状態では、“感情を排した論理的な思考”よりも“感情の中で思考する事”を選択してしまうからです。つまり、どこまでも自我の中で吟味し、判断し、自我に則した自己満足や安定(安心)を求めようとする。
 せっかく魂が導いた“出逢い”を自分の恐れの感情で判断し、受け入れない選択をした為に、肉体を去った時に転生の失敗を悔やむ人達のなんと多いことか。
 それほどまでにして護りたい自我とは何なのか? 宇宙は理解に苦しんだりするのです。「失敗したっていいじゃないか、人間だもの」そんな言葉は、何の為に転生を繰り返してきたのか? と迫る魂の想いの前では意味を失います。人は、「次こそ、今度こそ!」と転生してきたのですから。
 ……魂の力とは、かくも強いものなのです。
その魂を所持する人間(人類)を次の段階へ、ネクストに導きたいと願う宇宙がまだ存在しているうちに(すでに地球自体は、自らの進化に専念しています)、私達は自我という檻から自分を脱出させなければならないのです。
 運命を切り開く、には、自我の選択ではなく、魂の選択に自らを委(ゆだ)ねて、安心して(本当の安心)任せきる勇気と知恵が必要なのです。

 運命を恐れ、阻むものを克服する方法 
  
 論理的思考からすれば、「運命」とは恐れるものでも、嘆くべきものでもなく、自我のコントロールによって魂の願う方向に自らを導き入れた結果、現出してくるものです。
 つまり、論理として制御可能なのです。
 「運命に翻弄される」と人は言ったりしますが、それは「自我に翻弄された」姿にすぎません。
 しかし、では、どうすれば「それが自我の選択ではなく、魂の選択」だと判断できるのでしょう? あるいは、自我ではなく、魂で願うことがそれだと判るのでしょうか?
 私は、霊学の論理的思考の要として、いつも「結果」を求めます。
 人は行動すれば、あるいは想えば、何かの結果を必然的に生じます。
 結果の状態を観察して、自分の何が変化したのか? と分析し、そして、それは次にどういう可能性をもたらすのか? を推理してみるのです。
 その観察を邪魔するのは、いつも感情です。時には、自己否定、自己嫌悪、自己破壊のネガティブ三兄弟(姉妹?)が助っ人に現れて、とにもかくにも思考をストップさせ「変化」を認めず、これ以上「変化させまい」とします。
 そこに感情を入れない為には、自分をBefore(以前) と After(以後)で客観的に視る姿勢が必要です。それには、訓練と時間がかかります。時間的推移によってしか判断できないAfterもあるからです。
 それでも、自分自身の統制(感情のコントロール)を試み、続ける努力をしていきますと、自我が騒ぐ瞬間が見えてきたりします。「自分は何に反応しやすいのか?」「何を恐れのキーワードにしているのか?」等がわかってくれば、制御は以前よりし易くなります。
 そうして、「これは自我が望むものだ」「これは前と同じ轍だ」と辛抱強く観察していくうちに、自分の魂が望む状態がおぼろげながら見えてきたりします。それが魂との対話の始まりです。魂の導く「出逢い」に敏感になり、気付けるようになるのもこの頃です。
 聖書に言う「いつも喜んでいなさい」とは、魂の喜びをキャッチし続けなさいということなのです。  

 ……やがて、人は運命など恐るに足りないもの、自分の意思で未来を切り開くという本当の意味に気付き、宇宙が望む人類の姿(存在のあり方)にも届くことができるようになるかもしれません。

 




実践セミナー「THE 霊学」

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